生い立ちから現在に至る、しまづ隆文のもうひとつの人物像。
ふるさと、旅、死生観、文筆やマスコミへの関わりなどを語る。
わが青春の軌跡 都政研究 2006.10より
私のことを知っている方々から、メッセージをいただきました。私のもうひとつの人となりをご覧いただければと思います。
ゆりかご会は、1980年にNYと東京の姉妹都市交流事業としてカーネギーホールでの子供たちの音楽会をやりました。その成功は駐在員だった嶋津さんの尽力によったものと思っています。
私の早稲田での教え子の第一号です。学生時代から積極的でしたね。いまは青少年の健全育成に一所懸命のようです。
彼は国立の街が大好きだと言っている。しかしそれは、僕が妻の若尾文子を愛する度合いと比べたら叶いっこないでしょう。ハハ。
「秘密の花園」や「透明人間」の上演に際し、野外テントの場所探しにとても協力してくれた。舞台には理解がありありがたいですよ。
10数年ほど前に東西の壁が崩れたあとベルリンと東京は姉妹都市となりました。その締結が成功したのも、常に市民による国際交流を大切にした彼の熱意によるところが大きいです。
都庁で一緒に仕事をしました。企画力と気配りのある行政マンです。
明朗な性格でアジアへの関心も高く、外国人留学生を積極的に支援しており、日本と中国・アジアとの友情のためにとても必要な人です。
早稲田では時代の変化に適合するよう、この間大学革命に懸命に取り組んできた。しまづくんもまた同時代に行政マンとして多くのことを学んでいるはずだ。その経験を踏まえ国立の街の未来に夢を描いてくれるに違いないと確信している。